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ブートレグ談話 Definitely Maybe期

司会「皆さん、お集まりいただき、ありがとうございます!では今日は94年1月~95年4月までの「Definitely Maybe」(以下、DM)ツアーにおける、オアシスのブートレグ音源・映像について語っていきましょう!

それでは大石さんからいきましょう!


大石(以下、O)「どうも、大石です!

まずは94年2月、スコットランドのグレンイーグルズで行われた、ソニー・ミュージックの株主へのお披露目として開かれたイベントでのライブ。

これはオアシス史上最初の“プロショット”の映像が撮影されたライブとなり、演奏は約30分・全6曲と短いものの、極初期のオアシスを堪能できる映像となっています。

映像の一部はDM発売10周年に出た公式記念盤DVDに収録されていますが、カウントダウン入りのマスター・テープ全編は、後年になってネットに流出しました。

最大の見どころは、何よりもメンバー全員の初々しさ!“暴れん坊”のようなイメージもない、若いインディー・バンドとしての出発を拝める映像として、重宝されている映像です。

観客は関係者ばかりなので、棒立ちで見ている人々しかいませんが、ライブとしては今でも十二分に迫力のある演奏を披露していますよ!」


司会「オアシスの初めてのツアー前に、こんなライブがあったんですね!初めて知りました!」


O「お次はブートレグ「Was There Then」(Flashbulb)として発売された、94年8月のライブ。

と言っても“ライブ”という体裁ではなく、DMに収録されている「Cigarrettes & Alcohol」のPV撮影のために、ファン500人をライブハウスに入れて撮影した際、練習がてらライブを行った音源となります。

2003年頃に発売された際は「こんなライブがあったなんて!」と、ブートレグのファンから驚きの声が上がった貴重音源です。

一応撮影されたカメラの音声が流出or観客が録音していたとも言われていますが、未だ正確な情報はありません。

重要なのはリリース前だった「Listen Up」と、まだ発売まで4ヵ月あった「Whatever」の初披露につきます。

前者はラフな演奏ながら、名曲が生まれた瞬間を聴けるのは確かですし、後者はたった一度きりのデヴィッド・ボウイ「Changes」をアウトロに混ぜたバージョンという、超貴重な演奏。

初期のライブの勢いの中にある繊細な楽曲を楽しめる、隠れた名音源の一つです。」

司会「あのCigarettes&AlcoholのPV撮影の時に、しっかりとライブもやっていたんですね!

個人的にListen Upは、大好きな曲ですね。

結局ライブでは数回しかお披露目されずで、リアムにとっては歌いづらい曲なんですかね。

WhateverにChangesを混ぜるのは、この時だけなんですね!」


O「うんうん、リアムのソロライブで久しぶりにListen Upを披露した時は、ビックリしました。

声の調子も良かったので、このまま武道館で聴ける?!と思ったら、しっかりとセトリから外されてしまいました(笑)

最後はDMツアー最終公演となった、95年4月22日のシェフィールド公演、ブートレグでは「ANOTHER PLACE TO PRAY (BURIED ALIVE)」(Flashbulb)として発売されました。

ドラマーのトニー・マッキャロルが参加した最後の公演(この公演直後に解雇)にして、オアシス史上最強の名曲「Don't Look Back In Anger」(以下、ドンルク)が初披露された、オアシスファンにとっては重要なライブとなります。

94年~96年頃まで、オアシスを追いかけて取材を続けていたジャーナリスト、ポール・メイサーという人物が著書「Oasis History Book - Take Me There」に、この日の詳細を記しています。

この音源が世に出た2002年頃までは、「一体どんな演奏だったのか・・・?」と、謎に包まれた日でもありました。

音源はそこまでクリアではないものの、何よりも「ドンルク」初披露につきるライブです。

この時、同じ週の火曜日にノエルがメイサーに「ジョン・レノンのブートレグを聴いてたら、すげえ歌詞があった。“The brains I had went to my head”これ、頂いた!」「それパクるの?」「そうだよ、大傑作になるぜ」と伝え、4日後のライブでの「ドンルク」初披露時、演奏前に「火曜日にパリで書いた新曲だ。メイサー、まだ聴いてなかったろ?」と言う、著書と音源が完璧にマッチする瞬間が体験できます。

音質やクオリティ以上に、オアシス史上に残る一夜かと。」

司会「DM期にドンルクを披露していたとは!

そしてジョン・レノンから色々と拝借しているとは、流石ノエル(笑)

火曜日に書いた曲と言っているのは聞き取れたんですが、そんな裏話があったんですね!

ポール・メイサーとノエルの関係性はそんなに近しいモノだったんですか?」


O「はい、メイサーはオアシスのバンド・メンバー全員と親交があり、特にリアムとノエルの両者とはツアーが進むにつれて、関係性を強めていきます。

著書の中では、その過程が分かるので、貴重な一冊となっていますよ。

イギリスでの勢い、日本公演の大成功、アメリカ公演での失態等も、細かく日記のように綴られていますので、読み応えがありますね。

ドキュメンタリー「スーパーソニック」では思い出話として、良い面が語られている部分が、著書内では当時メンバーのひどい言葉で語られてる部分もあります(笑)」



司会「例えば、どのようなことが裏話的に語られているんですか?」


O「ひとつ挙げさせてもらうと、アメリカ・ツアーの際、バンドに愛想をつかした(=疲弊した)ノエルが失踪し、その結果「Talk Tonight」が生まれ、その後バンドに戻るくだりがドキュメンタリー「スーパーソニック」では、それなりにスムーズに描かれています。

しかしバンドに戻った際、ノエルはメイサーにこう告げます。「あいつらみんな最低」(笑)

ただその後のニューヨーク公演では歯車が戻ったようで「俺は完全に頭にきてたのかも。でも曲は書き続ける」とメイサーに言っています。」


司会「映画とは違う、そんな流れがあったんですね。

知らない情報ばかり、ありがとうございます!

では次に須賀くんいかがでしょう?」


須賀(以下、S)「デビュー直後は重要であったり、特徴的なライブが多いんですが、その中でも自分が大好きな公演は、来日公演の最終日にあたる名古屋クラブクアトロ公演ですね。

ブートレグでは「STAIN IN A BLUE SKY」として、発売をされています。

特筆すべきは、オアシス史上初めてアンコールに応える場面です。

本編最後のI Am The Walrusが終わった後に、「もう一曲やるぜー」とステージに戻って来て、Rock'N'Roll Starを披露します。

その日の1曲目にも、披露はしているんですけどね(笑)

通常のRock'N'Roll Starよりもアウトロを長く演奏している点は、この時代において中々貴重ではないでしょうか。

あと先程トニー解雇の話が出ましたが、アンコールのRock'N'Roll Starに入る前に、トニーがドラムソロを披露するんですよね。

是非聴いていただきたい場面でして、聴いてもらうと解雇された理由がよく分かると思います(笑)」


司会「初めてアンコールを行ったのは日本、そして名古屋とは!」


S「名古屋ってよく「名古屋飛ばし」という言葉を使われてバカにされるんですよ。

三大都市と言われるのに、東阪のみ来日公演が行われてしまうので。

ただこんなにも特別なライブが名古屋で行われたと思うと、地元のオアシスファンにとって喜ばしいことなんですよね。」


司会「確かにこんなことが日本で行われるなんて、嬉しいですよね。」


小沢(以下、KO)「僕も初来日の渋谷クアトロ最終日を挙げさせていただきますね。

Rock'n'Roll Starでのスタートがレギュラーで定着したのが日本、東京であり、この日だという恐るべき事実があるんですよ。

ここからライヴバンドとしての伝説が始まったような気がします。

気合いの入ったバンドや熱狂するオーディエンスに呼応するように、若きリアムが声を振り絞って歌う様は、須賀くんの挙げた名古屋公演と同様、強く胸を打つものがあります。

2018年に原宿で行われたDennis Morrisの写真展“ROCK 'N' ROLL STAR”は、この渋谷クアトロで撮影されたものでした。

何か、予め歴史に残る来日公演だと約束されていたかのようです。

クアトロに一度でも行ったことがある人なら、あの場所でオアシスが演奏していた空気を感じられるはずです。

このブートのタイトルにもなった、「アニキ!」と叫ぶオーディエンスとやり取りするノエルからも会場の近さを感じますし、バンドのレーベルBig Brotherもそこから付いたなんて話も面白いですよね。

別日には素晴らしいワンカメの映像が残されていますし、オアシス展Chasing The Sunの会場でも流されていたプロショットの映像も残されている。

そして音源も素晴らしい状態で残っていて、それも名演。

繰り返しますが、伝説になるのが約束されていた、分かっていたのが初来日公演なんです。」

O「横からすみません。あの初来日公演のワンカメ映像は、未だ出処不明なんですよね。

会場のモニター映像なのか、ブートレグ業者の撮影なのか…。

何にしろ初来日の興奮が残ってる、貴重な映像です。」


KO「オーディエンスショットとも、プロショットとも言えるあの感じ。そして安定して見られるのが素晴らしいですよね。」


O「初来日ツアーに関しては、ほぼ全公演で安定した音源が残されてるのも、初来日のロック・バンドとしては奇跡的なのかと。」


S「Rock'N'Roll Starでのスタートが定着したのも日本、アンコールをしたのも日本、色々なことの起点が日本というのも珍しいですよね。」


KO「バンドも、オーディエンスも、ブートレグ業界も、その重要性がわかっていたかのような充実っぷりです。」


O「ただ、初来日公演の多くが日の目を見たのも、2000年代中盤なんですよね。」


S「その頃ブートレグを集め始めまして、リリース情報で「aniki!」が新作情報としてアップされていて、ん?94年の日本でのライブが新作?どういうことだ?と思ったことがありました(笑)」

KO「そうそう、僕も集め出したくらいの時で、プレス盤・安い・新作ということもあってすぐに買った記憶があります。

次に挙げるのは、Live At The Metro。

1st期のオフィシャルライヴアルバムともいうべき内容で、音質最高、内容安定の一枚です。

迷ったらこれ、買って損無しですね。

恐らくDM期では、一番聴いたかもしれません。

大石さん解説お願いします(笑)」

O「「Live At The Metro」ですね。

これは当時アメリカで配給権を持ってたEPIC(ソニー)がオフィシャルな映像を撮影していたので、その映像&音源が完璧な状態で流出した作品です。

その音源からプロモCDが制作されて、様々な形でコピーされました。何度も同じ内容で発売され、最終的にBetrayerレーベルがCD+DVDで最高品質版を出した感じです。

シカゴ・メトロ公演は、DMの10周年記念盤DVDにも一部収録されているので、オフィシャルと言えます。

2005年の6th「Don't Believe The Truth」の北米限定のボーナスCDにも、音源が一部収録されているくらい、公式な形で世に出ているので「半ブートレグ」と言える代物かと思いますよ。」


司会「そもそも当初のプロモCDは、何用で作られたんですか?」


O「ラジオの放送用ですかね。

大抵のライブ音源のCD化は、ラジオ等の放送音源として使用用途があるので。」


司会「なるほど。

例えば数曲抜粋してCDにするというわけではなく、フルで収録されるのが通例なんですか?

それともオアシスが特殊なんですかね?」


O「オアシスが特殊、というわけではないです。

90年代にはCDという形で出回った形が多いですが、70年代~80年代のアーティストのライブ音源は、オープンリールで録音されたテープにフル音源が収録されてたり、レコードに数曲抜粋で作成されていたり、様々です。

ブートレグになっていないオフィシャル音源としてのライブ音源が、欧米のシングル盤のボーナスCDとして付属しているものもありますし、他のバンドでもライブverとして、アルバムの特典音源なんかで収録されている場合があるので、一概に「オアシスのみ」というわけではないかと思いますよ。」


KO「もう一つ挙げさせていただきます。

1994年12月のウルバーハンプトン公演です。

DM期も後半に差し掛かり、勢いを増すバンドを捉えています。

クリスマスに合わせてリリースされた稀代の名曲「Whatever」が、エレクトリックな完全バンドバージョンで勢いよく演奏されています。

アコギだったりハーモニカやオーケストラが入るバージョンが多い中、バンドだけでやってるのが意外とレアです。

バンドでコピーしたい人にも、オススメのアレンジになっています(笑)

また、近年この公演はBBCが配信して、それを元に大変素晴らしいアナログブートレグが作られています。

アナログでは一部抜粋になっているので、完全版のタイトルが待たれますね。」


司会「確かにライブでのWhateverは、オーケストラが入っているバージョンが多いなという印象がありますね!

あとはノエルの弾き語りでも披露されていましたが、バンドだけというのは珍しかったんですね。」


S「僕からももう一つ挙げさせてください!

DM期で、もう一つオフィシャル並のライブ音源と言ったら、1995年1月29日のバンクーバー公演ですね。

元々がFMラジオ音源でしたよね?

音質が良いこともさる事ながら、何と言っても聴きどころは「Listen Up」で、しかもボーカルがリアムというところです。

大石さんが挙げた「Was There Then」でもリアムのボーカルバージョンが聴けますが、サウンドボード音源というのは、これのみじゃなかったでしたっけ?」

O「「Listen Up」は、94年の「Was There Then」のPV撮影以降、95年では2公演、96年ではアメリカ・ツアーの5公演しか歌ってないですね。(96年のMTVアンプラグドはノエルが代役)

そしてリアムがボーカルのサウンドボードというと、この音源のみになります。

95年のバンクーバー公演はFM放送されて、90年代を代表するブートレグ・レーベル、KTS(Kiss The Stone)が「Listen Up」というタイトルで発売し、2002年ごろにFlashbulbがそのコピーで「British Columbia」を発売、その後は音沙汰無しなのが勿体ないライブです。

96年のリアムが抜けたローズモント公演では、ノエルがボーカルをとりましたが、B級レベルのオーディエンス録音と、手振れ満載の映像しか残ってないのが残念です。」

司会「Listen UpはB面曲の中でも人気があるのに、こんな数公演しか聴けないんですね。

何かもったいない気がします(笑)

そしてあの話を聞きたいです!

ドキュメンタリー「スーパーソニック」でも取り上げられた、クリスタル・メスをキメながらのライブについて(笑)」


O「確かにあれは語らないと(笑)

あの時は二度目のアメリカ進出(一度目は7月のニューヨーク公演)で、同年9月の初来日公演が大成功し、その勢いでアメリカへ向かったオアシス一行は、あまりの落差にショックを受けます。

このあたりはドキュメンタリー「スーパーソニック」でも描かれてますね。

問題の1994年9月29日のWhiskey A Go Go公演。

LAのラジオ局、K-ROQの名DJ/ロドニー・ビンゲンハイマーの紹介MCの元で始まったライブは、もはや修羅場と化します。

それはバンド・メンバーが、ライブ前もライブ中もドラッグであるクリスタル・メスをキメており、誰一人マトモな状態でライブを行えていませんでした。

メンバーに渡されているセットリストも、リアムとノエルで異なっており、おかげで各々がセットリストとは異なる曲を演奏し始めるという、ひどい有り様に。

リアムは観客をからかい始め、ノエルは不機嫌になり、揚げ句にケンカを始める始末。

しかもそれが、オアシス初のLA公演としてオフィシャル(完全な公式映像とは言えない代物)の映像に残ってしまったという、なかなかの不名誉な公演となってしまいました。

しかしながらバンドとしての勢いや、オアシスとしての“暴れん坊”のイメージが明確に残せたので、結果的には「最悪だけど、悪くはなかった」公演になったと言えます。

ただこのライブの後、ドキュメンタリー「スーパーソニック」でも語られていましたが、ノエルは「もう沢山だ。勝手にしろ、解散だ」と、ツアーの現金を全て持って、薬物の影響による被害妄想も満載の中、サンフランシスコやラスベガスへ失踪する事件が起きましたね。」


司会「詳しいご説明をありがとうございます!

そういえばこのライブには、ビートルズのリンゴ・スターが観に来ていたと言われていますよね。」


O「そうそう、それは事実のようですね。

それなのにドキュメンタリー「スーパーソニック」でも描かれている通り、物陰に隠れてメスをキメて、酒も飲んでる最低の状況になっていたと思われます(笑)」


司会「やはりオアシスは別格ですね(笑)

この日の映像はオーディエンス撮影で、しっかりと確認出来ますよね。」


O「実はあの映像はオーディエンス撮影ではなく、EPICの公式映像として撮影されています。」


司会「え、そうなんですか?!

てっきりオーディエンス撮影かと思っていました!」


O「仰る通り、オーディエンス撮影だと長年言われてましたが、よく見ると複数台のカメラで撮影しています。

ちなみに途中でノエルがカメラに向かって、明らかに薬でトンでる目で睨むシーンもありますよ(笑)

この2週間後、小沢君が上げたシカゴ・メトロ公演では完璧とも言える演奏を披露しているので、いやはや、ノエルの脱退劇がバンドを持ち直させたのかと思ってしまいますね。」


司会「なるほど、もう一回この日の映像を見直さなきゃ!

皆さん、ありがとうございます!」


O「あ、そうだ。

DM期の話として、もうひとつだけ。

実は来日ツアー中に、ノエルはビートルズのカバー「悲しみをぶっとばせ」をレコーディングしており、本人曰く「アイ・アム・ザ・ウォルラス」をライブでカバーしているのは、ビートルズが一度もライブで披露しなかったからだそうです。

そしてノエル自身のお気に入りのビートルズ曲は「涙の乗車券」だと、メイサーに語っていますね。」


司会「ライブ定番のカバーには、そんな意味があったとは!

皆さん、長い時間ありがとうございました!

次回はオアシス全盛期のMorning Glory期です!

よろしくお願いします!」


ALL「引き続きよろしくお願いします!」



----------------【今回のゲスト】-----------------


【大石】

幼少期からの映画バカで、その影響で英語を覚え、気付けば海外ドラマや映画の字幕翻訳家/映画関連の通訳及びインタビュー等も。小学6年生の頃にオアシスと出会い、中学生でブートレグと出会ってからは、特にライブ音源について徹底的に研究し続ける日々。


【小沢】

音楽好きの会社員。UKやモッズを偏愛するあまり、“Face The Crowd”,IN CROWD,◎Into Tomorrow◎,oasis mania tokyoなど数々のイベントを主宰。


【須賀】

オアシスのファンイベント"OASIS NIGHT NAGOYA"の主催者。

高校生の頃に名古屋でオアシスのライブを観て、感涙。

それからというもの、ブートレグの収集に熱を上げ、海外までギャラガー兄弟を追いかけている。


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